* Caramel Tea *

Reading Diary

2008. 01. 05

今年もよろしくお願いします

遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
2008年もマイペースで更新していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
今年一年、楽しい読書生活が送れますように。



実は去年からあるものをちょこちょこ作っていまして、年末年始のヒマな時間でなんとか形にしてみました。

19世紀イギリス文学翻訳本リスト

「次に何読もっかなー」というときに参考にするための自分用メモみたいなものなんですが、あれもこれもと詰め込んでいたら、なんだか収拾がつかなくなってしまった……。
背景色が微妙に変わっているのは既読の本です。(自己満足用)
詩人がごそっと抜けていますが(私の守備範囲外なので)、気が向いたら付け加えておきます。

こうして調べてみると、19世紀英文学って結構たくさん翻訳されているものなんですねー。
リスト作っているうちに読みたい本が大分増えてしまった〜。

2008.01.05 23:30 | Comments(4) | Trackback(0) | 海外文学-19世紀

2007. 11. 15

『シャーロット・テンプル』 スザンナ・ローソン

Amazon.co.jp で詳細を見るCharlotte Temple, A Tale of Truth (1791)
スザンナ・ローソン / 山本典子 訳 / 溪水社
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家族に愛されて育った心優しく美しい少女シャーロット・テンプルは、寄宿学校からの外出中、陸軍中尉の青年モントラヴィルと出会う。寄宿学校の放埓な教師ラ・ルー嬢の手引きによって逢瀬を重ね、愛し合うようになる二人。やがてアメリカ独立戦争に赴くことになったモントラヴィルは、シャーロットをアメリカに一緒に連れていきたいと願う。彼を深く愛しながらも家族への愛情からそれを拒否したシャーロットだったが、モントラヴィルとラ・ルー嬢によって強引に連れ出され、アメリカへと渡ることになる……。

アメリカで最初にベストセラーになった小説、だそうです。(ちなみに著者はイギリス生まれ)
駆け落ち(というより半ば誘拐)状態でイギリスからアメリカへと渡った中産階級の少女が、財産も身分もないことから結婚してもらえず、さらに彼女が浮気をしたと思い込んだ相手の男に身重の状態で捨てられ、苦労を重ねる……という話。
若い女性に向けて「シャーロットのような悲惨な目にあわずに済むよう十分に気をつけましょう」と警告する意図で書かれたものですが、読み終わってみると印象に残っているのはそんな教訓よりも、シャーロットのような境遇の女性(結婚をエサに男に誘惑され、道を踏み外してしまった娘)たちに寄せる同情、「彼女たちの親身になってあげましょう」というメッセージのほうで、著者の本心もそちらにあったのではないかと思えます。
シャーロットが産んだ娘ルーシーの話で 『ルーシー・テンプル』 という続編もあって、そちらも翻訳されているようです。

ところで、シャーロットを捨てたモントラヴィルは、ボストンの資産家の娘であるジュリアと結婚することになります。でも、モントラヴィルはもともと、イギリス陸軍の軍人として独立戦争でアメリカ側と戦うためにアメリカへやってきたんじゃなかったっけ? 彼は立場的にどうなってるんだ……?

2007.11.15 23:08 | Comments(0) | Trackback(0) | 海外文学-19世紀

2007. 10. 15

『箱ちがい』 スティーヴンスン&オズボーン

Amazon.co.jp で詳細を見るThe Wrong Box (1889)
ロバート・ルイス・スティーヴンスン&ロイド・オズボーン / 千葉康樹 訳 / 国書刊行会 ミステリーの本棚
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最後に残った一人が莫大な金額を受け取る仕組みのトンチン年金組合の生き残りは、ついにマスターマンとジョゼフの兄弟二人きりとなった。折りもおり、ボーンマスへ転地に出かけたジョゼフは、帰途、鉄道事故に遭遇してしまう。事故現場で老人の死体を発見した甥たちは、年金目当てに一計を案じ、死体を大樽に隠してロンドンに送り込み、伯父がまだ生きているように見せかけようとするが……。偶然のいたずらによって姿を消した死体が行く先々で引き起こす珍騒動と、死体探しに奔走する男たちの右往左往を、絶妙のユーモアをまじえてえがく、『宝島』の文豪が遺したブラック・ファースの傑作。 (カバー折返しより)

先月読んだ 『新アラビア夜話』→感想) がおもしろかったので、同じスティーヴンスンの手になる本作も読んでみたんですが、『新アラビア夜話』 で垣間見られたやや皮肉っぽいユーモアが本作では全面的に発揮されていて、とても楽しい作品でした。本文冒頭で揶揄されているような「にこにこしながら作品の表面だけを読み飛ばしていく愛書家諸氏」で申し訳ないですが(笑)。(スティーヴンスンの作品とは言っても、彼の妻の連れ子であるロイド・オズボーンが書き上げた物語に、スティーヴンスンが文章・内容ともに大幅に手を加えた、という形らしいそうです)
ジョゼフの甥たち(ケチな兄モリスと怠惰な弟ジョン)やマスターマンの息子で悪徳弁護士のマイケルなど、しょーもない男たち(+女性ひとり)が繰り広げる、ヴィクトリア朝ユーモア小説……というか、ドタバタ・クライム・コメディ? いたずらやら何やらで死体がたらい回しにされるわけですが(実に気の毒なほとけさん…)、それを受け取るはめになった人々それぞれの反応が笑えます。一見バラバラな登場人物たちに、意外なつながりがあったりするところもおもしろいしね。(あー、でも、ひとこと言いたい、「他人宛ての荷物、勝手に開けるなよ……」)
訳も読みやすく、イギリスのユーモア小説が好き、という方にはオススメしておきます。

※ ちなみに、「トンチン年金」というのは実在するんですね〜。(Yahoo!辞書 - トンチン年金

2007.10.15 22:48 | Comments(2) | Trackback(1) | 海外文学-19世紀

2007. 10. 08

『ホフマン短篇集』

Amazon.co.jp で詳細を見るSechs Novellen (1815-1822)
E.T.A.ホフマン / 池内紀 編訳 / 岩波文庫
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平穏な日常の秩序をふみはずして、我知らず夢想の世界へふみこんでゆく主人公たち。幻想作家ホフマンは、現実と非現実をめまぐるしく交錯させながら、人間精神の暗部を映しだす不気味な鏡を読者につきつける。名篇「砂男」はじめ六篇を収録。 (カバー折込より)

19世紀初頭のドイツ・ロマン派のホフマンの短篇集。
ホフマンは初めて読みましたが、なんとも言えず不思議な作品を書く作家なんですね。ホフマンって一体どんな人だったんだろう……と思わせられる、そんなような。
大半の話は、あちら側の世界を垣間見た青年が、その幻想に取り憑かれて破滅していく……といったストーリー。どの場合も愛する女性がいて、安定した幸せな生活を得ようとすればそうすることも出来たのに……というところが、なんとも痛々しい。平凡な幸せなんていらないというのなら別にいいのですが、それと引き換えに彼らが非凡な幸せを手に入れられたようにも見えないし……。とりあえず、巻き込まれた周囲の人々が気の毒だ。(こういう感想を持ったのは私が女だからかもしれませんが。男性が読むとどうなんだろう)

以下、印象的だった作品の短い感想。
「クレスペル顧問官」 風変わりな顧問官とヴァイオリンの話。これって、父親のエゴなのでは……。
「砂男」 あのコッペリアの元ネタだったんですね。ここでは、自動人形の娘の名前はオリンピアになっています。主人公の青年ナタナエルの極度のナルシストっぷりがすごい。
「隅の窓」 これは幻想から離れて、二人の男が市場へ集まってきた人々を部屋の窓から観察しているのを対話形式で書いたもの。訳者後書きにあるように「従兄=ホフマン」であるならば、上記の「ホフマンってどんな人だったんだろう」という疑問に答えてくれるような作品です。

* Tag : 短編集  

2007.10.08 23:52 | Comments(0) | Trackback(0) | 海外文学-19世紀

2007. 09. 16

『新アラビア夜話』 スティーヴンスン

Amazon.co.jp で詳細を見るNew Arabian Nights (1882)
ロバート・ルイス・スティーヴンスン / 南條竹則・坂本あおい 訳 / 光文社古典新訳文庫
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理由なき自殺願望者が集うロンドンの夜。クリームタルトを持った若者に導かれ、「自殺クラブ」に乗り込んだボヘミアの王子フロリゼルが見たのは、奇怪な死のゲームだった。美しい「ラージャのダイヤモンド」をめぐる冒険譚を含む、世にも不思議な七つの物語集。 (裏表紙より)

「自殺クラブ」についての短編3作と「ラージャのダイヤモンド」についての短編4作が収録された、連作短篇集。両方とも犯罪がらみの冒険譚で、さほど捻ってあったり手が込んでいたりするわけではないのですが、ところどころブラックユーモアも効いており、ワクワクしながら読めて楽しかったです。
「新アラビアンナイト」という題名がついているのは、「英国の首都をアラビアの都バグダットに見立て、お忍びで夜の冒険を求めるフロリゼル王子とジェラルディーン大佐を教主(カリフ)ハルン・アル・ラシッドと腹心の大宰相になぞらえる趣向」(解説より)だからだそうで、実際にアラビアが出てくるわけではありません。19世紀後半のロンドンとパリが舞台です。また、フロリゼル王子が主人公格なのも最初と最後の話だけで、あとは短篇ごとに主人公が変わり、その主人公たちが冒険に巻き込まれ、そこにフロリゼル王子が顔を見せる……という形式になっています。
で、この神出鬼没で、気品高く温和、美形で才芸並びなきボヘミアのフロリゼル王子。皇太子なのにずーっと他国で秘密の冒険ばかりしていて大丈夫なのかな、と思っていたら、エピローグで「(ちょっと結末バレ→)のちに、長らく国を留守にして公務を怠っていたので、国民に革命を起こされ王座を追われてしまった」ということになっていて、うん、まあ、納得……(笑)
そして、王子の献身的で忠実な側近のジェラルディーン大佐。後半は出番がないのが残念なのと、2〜3話であまりといえばあまりに悲惨なことになるのが気の毒すぎた……。


この本、以前福武文庫から出ていた 『自殺クラブ』 と収録作はまったく同じなのかな?
スティーヴンスンと言うとやはり 『ジキル博士とハイド氏』 や 『宝島』 が有名ですが、岩波文庫の 『バラントレーの若殿』 もおもしろかったです。化け物じみた兄と苦労人な弟の凄まじい確執の物語。『箱ちがい』 というのもおもしろそうだから、読んでみようかなー。

2007.09.16 00:21 | Comments(0) | Trackback(0) | 海外文学-19世紀

2007. 07. 19

『分別と多感』 ジェイン・オースティン

Amazon.co.jp で詳細を見るSense and Sensibility (1811)
ジェイン・オースティン / 中野康司 訳 / ちくま文庫
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理知的で分別を重んじる姉エリナーと、情熱的で感情表現の激しい妹マリアン。美しいダッシュウッド姉妹は両親と妹マーガレットとともにノーランド屋敷で暮らしていたが、父親が亡くなり、異母兄ジョンが屋敷と財産のほとんどを相続。ジョン夫婦と折り合いの悪い母娘は、たいした財産も持たぬまま屋敷から引っ越さなければならなくなる。そんななか、エリナーは義姉ファニーのもの静かな弟エドワード・フェラーズに密かに思いを寄せ、一方、マリアンは情熱的な美青年のウィロビーと激しい恋に落ちるのだが…。

理知的な姉(=分別)と情熱的な妹(=多感)、対照的な姉妹とそれぞれの対照的な恋愛を描いた作品。
キネマ旬報社版で一度読んでいるんですが、今年初めに新訳が出たので数年ぶりに読んでみました。
……うーん、改めて読んでみると、オースティンの他作品ほど好きじゃないな(初読時にはエリナーを応援しながら読んでいた記憶があるのだけれど)。
エリナーは年齢の割にはあまりに分別がありすぎるのがちょっとつまらないし、逆にマリアンは「わかったから、ちょっと落ち着け!」と言いたくなる感情過多っぷり。
あと、男性陣に魅力がない。特にエドワードの魅力というのがまったくわからん。母親にいつまでも頭押さえられてるし、ルーシーとの婚約は他ならぬ自分自身で決めたことなのにその責任から逃げてるようなところがあるし(いつまでも宙ぶらりん状態でいないで、結婚するなり婚約破棄するなりすればいいのに、はっきりさせないところが優柔不断に思える)。また、ルーシーとエドワードの婚約はどちらか一方が強制したわけでもないにも関わらず、エリナーがエドワードに対してはかなり甘い目で見ているのに、逆にルーシーに対しては厳しすぎるところが、ちょっと納得いかない(もちろん恋するが故の欲目というのもあるだろうけど、エリナーは普段は、他人を公平な目で見るように心がけているような人物なのでね…)。他方、ウィロビーは、ブランドン大佐の姪の件がある時点で情状酌量の余地なしです。それに、エドワードもウィロビーも、どっちも言い訳がましい&責任転嫁が多すぎるのよ。
あと作品全体の傾向として、『自負と偏見』 や 『エマ』 などに比べて、オースティンのユーモアよりも辛辣さが前面に出ているように思えます。


Amazon.co.jp で詳細を見るところで、この作品、エマ・トンプソン主演の映画化作品 『いつか晴れた日に』 が有名ですが、エマ・トンプソンは36歳のときに原作では20歳そこそこのエリナー役をやってるんですよね(エドワード役のヒュー・グラントとは、恋人ではなく姉弟にしか見えなかった…)。でも、改めて原作読んでみると、精神年齢的にはエリナー役はエマ・トンプソンに適役だった気がしないでもない…。

* Tag : ジェイン・オースティン  

2007.07.19 23:34 | Comments(0) | Trackback(0) | 海外文学-19世紀

2007. 07. 05

『ジェイン・オースティン ファッション』

Amazon.co.jp で詳細を見るJane Austen Fashion, fashion and needlework in the works of Jane Austen (1999)
ペネロープ・バード / 能澤慧子 監訳・杉浦悦子 訳 / テクノレヴュー
[ Amazon ]

図書館で目にとまったので借りてきた本。(そういえばこの本、ジェイン・オースティンのページをサイトの片隅に置いているせいか、出版元から「こういう本出します」って宣伝メールが来ていたような…)
オースティンの時代(18世紀末から19世紀初頭)のファッションについて、オースティンの作品や手紙の中から引用しながら解説した本です。
34枚の図版が入っていますが、値段の割りにはちょっと少ないような気が…。いやこんなもんなのかな。

* Tag : ジェイン・オースティン  

2007.07.05 00:51 | Comments(0) | Trackback(0) | 海外文学-19世紀

2007. 06. 21

『百歳の人―魔術師』 バルザック

Amazon.co.jp で詳細を見るバルザック幻想・怪奇小説選集1
La Sorcier (1822)
オノレ・ド・バルザック / 私市保彦 訳 / 水声社
[ Amazon ]

夢想を誘う七月の真夜中、岩山の懐からは煙が立ち上り、父親思いの優しい娘が失踪する。鍵を握るのは、若き天才ベランゲルト将軍の生涯につきまとう不気味な老人。人間を「束の間の生の子ら」と呼ぶ彼が姿を現すところ、不可解な事件が起こる。 (カバー折込より)

ナポレオンのもとで天才ぶりを発揮する青年軍人テュリユス・ベランゲルトと彼の行く先々に姿を現して助力する不死の怪人「百歳の人」の因縁を、テュリユスとベランゲルト家の財産管理人の娘・マリアニーヌの恋を交えて描いた、「呪われた放浪者」テーマのゴシック小説風の流行小説。
訳者解説によれば、当時のフランスではマチューリン著のイギリスのゴシック小説 『放浪者メルモス』 が大人気だったため、出版元にフランス版 『メルモス』 を書いてくれと言われ、バルザックが「オラース・ド・サン=トーバン」というペンネームで書いたのがこの作品らしい。私は 『放浪者メルモス』 は未読なので、本作と元ネタの類似点・相違点などについてはよくわかりません。ついでにバルザックの作品ももう何年も前に2〜3作読んだっきりなので、本作が後期の作品に比べてどうか、という比較も出来ません。
中盤あたりから興味が薄れつつ読んでいたのだけど、終盤、マリアニーヌを攫った老人の隠れ家がパリの地下にあるというところは、『レ・ミゼラブル』 の地下水路や 『オペラ座の怪人』 を連想して、ちょっとワクワク。

2007.06.21 22:25 | Comments(0) | Trackback(0) | 海外文学-19世紀

2007. 05. 06

『七破風の屋敷』 ナサニエル・ホーソーン

Amazon.co.jp で詳細を見るThe House of the Seven Gables (1851)
ナサニエル・ホーソーン / 大橋健三郎 訳 / 筑摩世界文学大系35

(左の表紙写真は洋書のもの)

17世紀のセイラム。ピンチョン大佐はマシュー・モールを魔女狩りに告発して死に追いやり、彼の土地を奪い取ってそこに七つの破風のある屋敷を建てた。しかし、モールの呪いがピンチョン家に降りかかる。そして200年後の19世紀半ば、名門だったピンチョン家は零落し、屋敷では老嬢ヘプシバー・ピンチョンが伯父殺害の罪で三十年間服役中の兄クリフォードの帰りを待ちながら細々と暮らすのみとなっていた。ヘプシバーは写真師の青年ホールグレーヴを下宿人として屋敷に置き、また生活のために屋敷の片隅で小さな雑貨店を始めるが、そこへ親戚筋にあたる素朴な田舎娘のフィーヴィが滞在に訪れ、店を手伝う。一方、近所に住む従兄のピンチョン判事がクリフォードが帰ってくるのを気にしていた。実は、裕福で人望厚いピンチョン判事こそが、クリフォードに伯父殺害の濡れ衣を着せた人物だったのだ…。

先日読んだ 『怪奇小説傑作集3』 に収録されていたホーソンの短編「ラパチーニの娘」が良かったので、同じく怪奇色の強そうなこの長編を読んでみた。『緋文字』 は高校生くらいのときに読んだっけ。
しかし、どうもいまいちピンとこない話でした。舞台設定と登場人物の人物像が詳細に語られた後は、話の展開がほとんどないんだよなあ…。それに「古いもの(その象徴がピンチョン家)に代わって新しいもの(若い恋人たちのフィーヴィとホールグレーヴ)が栄える」という図式が前面に出すぎているように思える。
ホーソーンには実際に判事としてセイラムの魔女狩りに関わった先祖がおり、そのことに誇りとともに罪の意識を持っていたそうで、名門ながら罪と呪いのつきまとうピンチョン家はホーソーン自身の姿の投影なのかな。

2007.05.06 23:54 | Comments(0) | Trackback(0) | 海外文学-19世紀

2007. 04. 23

『メアリ・バートン―マンチェスター物語』

Amazon.co.jp で詳細を見るMary Barton (1848)
エリザベス・ギャスケル / 直野裕子 訳 / 日本ギャスケル協会 監修 / 大阪教育図書 (ギャスケル全集2)
[ Amazon ]

※ これまでの関連記事
読書中の本 『メアリ・バートン』
『メアリ・バートン』 第6〜13章
『メアリ・バートン』 第14〜22章

おもしろかった〜。去年からヴィクトリア朝文学の長編を読んでみてもあまりおもしろくなくて(もしくは自分の好みではなくて)がっかり…ということが続いていたのですが、ひさしぶりに満足。
特に、ジェムが殺人事件の犯人として逮捕され、メアリがジェムの無実を証明しようと奔走する後半部分、メアリとジェムがどうなるのかと夢中になって読んでしまった。物語前半でメアリは身分違いのハリー・カースンと交際して結婚を夢見るなど少々軽率なところがあり、それがジェムがハリー殺害の犯人として逮捕されることにもつながるわけですが、ジェムのアリバイを立証しようと全力で駆けずり回る姿は彼女の過去の欠点を補って余りあり、メアリにはぜひジェムと幸せになってほしいと思わずにはいられませんでした。ジェムも、他の人たちのとばっちり受けまくりなのは非常に気の毒だったけど、とっても懐の深い好青年だったし、あー、大団円で良かった〜。

この作品、後半は殺人事件の話に重点が移ってしまいますが、メインに据えられているのは、工業都市マンチェスターの貧しい労働者たちの実情を描き出すこと。前半部分では、職工ジョン・バートンとメアリの父娘の周囲の人間模様とともに、労働者たちの悲惨な生活状況が描かれているし、殺人事件も労働者と工場経営者の間の労使問題から生じた出来事で、結末部分でギャスケルはふたたびその問題を取り上げ、自分なりの解決策を示しています。
しかし、労使間の対立などの社会問題に対するギャスケルの見解は、どうにも手ぬるく思えてしまう。ギャスケルは「工場主たちは、労働者たちとは単なる金銭上の契約のみならず愛と尊敬の絆によって結ばれるのが最も望ましい」と考え、雇い主たちに「労働者たちを信頼し理解するように努め、救いの手を差し伸べるべきだ」と強く訴え、その一方で労働者たちには、深い同情を寄せながらも「雇い主たちだって人間なのだし、何か事情があるかもしれないのだから、彼らを理解し思いやるようにしなければならない」と説きます。確かに、相手を理解し思いやる精神があれば世界中のほとんどの問題は解決するだろうけど、現実的に考えれば「理想論」にしか思えないし、目の前で家族が飢えや病気で死んでいく人々に対して「思いやりの精神」を説いてみても腹の足しにはならない。ギャスケルの訴えは非常に真摯なものだし、理想を説くのも悪くはないけれど、労働者たちの劣悪な生活環境のリアルな描写と噛み合ってないように感じます。(ギャスケルは、そもそもなぜこのような社会問題が起きるのか、という点までは踏み込んでいないわけで、このあたり、『オリバー・ツイスト』 などで貧困層を存在させるものとして当時の社会をはっきりと「悪」と糾弾したディケンズと比較してみると興味深いかも)

しかし、解説で指摘されているように「この作品に取り上げられた労使の対立、貧富の差の問題について、政治的社会的な面で食い足りないところがあるにしても」、メアリを始めとする登場人物たちの悲しんだり喜んだりする様が生き生きと描き出され、またギャスケル特有の温かな視線と穏やかなユーモアがそれを彩り、とても魅力的な物語であることには違いありません。

* Tag : エリザベス・ギャスケル  『メアリ・バートン』  

2007.04.23 18:52 | Comments(0) | Trackback(0) | 海外文学-19世紀

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読んだ本の感想メモ、気になる本の情報など。翻訳小説が中心です。特に好きなのは、海外古典ミステリと19世紀イギリス文学。
[ 管理人 : Rie ]


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