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Reading Diary

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2009. 09. 23

『妻たちと娘たち―日々の生活の物語』

Wives and Daughters: An Everyday Story (1866)
エリザベス・ギャスケル / 東郷秀光・足立万寿子 訳 / 大阪教育図書 (ギャスケル全集6)
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田舎町のホリングフィールド。医師ミスター・ギブスンの一人娘モリー・ギブスンは、幼い頃に母親を亡くしたものの、父親の愛情を受けて成長した。12歳のとき、この町の領主であるカムナー伯爵夫妻の園遊会に招かれたモリーは、その大邸宅で以前カムナー家の娘たちの家庭教師をしていた美しい女性ミセス・カークパトリックと出会う。彼女は牧師補と結婚したがまもなく死別しており、モリーと同じ年頃の一人娘シンシアがいた。それから数年後、モリーがもうすぐ17歳になろうというとき、とある出来事がきっかけで、モリーにはお目付け役の母親が必要だと考えたミスター・ギブスンは、再婚することを考え始める。その相手に選ばれたのが、ミセス・カークパトリックだった。親しくしているスクワイアのハムリー家に滞在中にそのことを知らされたモリーはショックを受けるが、そんな彼女をハムリー家の次男ロジャーが慰め、ふたりは友情を育んでいく。結婚式が挙げられ、モリーは新婚旅行から帰宅した父親夫婦と暮らし始めるが、父親と二人で過ごす時間がなくなってしまったことや、新しい母親が見栄っ張りで軽薄であることに気づき、気の沈む日々を送るのだった。そんな折、フランスの寄宿女学校へやられていた美しい娘シンシアが、母親たちと一緒に暮らすために帰ってきた……。

著者ギャスケルが執筆途中に亡くなり、未完となった作品。とはいえ、まとめの何章かが書かれなかっただけで、内容的にはほぼ完結しています。

1820年代のイングランド北部の田舎町を舞台に、「日々の生活の物語」の副題のとおり、中産階級の少女の生活を描いた物語。
起きる事件といえば、父親の再婚や義理の姉妹の恋愛スキャンダルに巻き込まれることぐらいで、これまで読んできたギャスケル作品 『メアリ・バートン』 『北と南』 の労働者問題や、『ルース』 の未婚の母といった社会問題、『悪夢の一夜』 の殺人などのような題材はいっさい出てきません。しいて言えば、『クランフォード』 をもっと写実的にした感じかなあ。
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* Tag : エリザベス・ギャスケル  

2009.09.23 23:00 | Comments(0) | Trackback(0) | 海外文学-19世紀

2009. 09. 05

『従僕ウィリアム・テイラーの日記』

Diary of William Tayler, Footman, 1837 (1962)
ドロシー・ワイズ 編 / 子安 雅博 訳 / 栄宝社
2009-07
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家事使用人のスケジュール、食事、賃金、役得など、いわゆる階下の世界の記録に留まらず、若きヴィクトリア女王の即位に歓喜する民衆、クリスマスの賑わい、鉄道の敷設工事、選挙、インフルエンザの蔓延、霧と煤煙など、人口集中の進むロンドンの社会事情を独特のユーモアを交えて描き出した、無名人ウィリアム・テイラーの日記。 (「BOOK」データベースより)

1837年の1月1日から12月31日までの、「紳士に仕える奉公人の日記」。ただし、このときウィリアムが仕えていたのは「紳士」ではなく、東インド会社で財を成した人物の未亡人(プリンセップ夫人)と、40代の未婚の娘。彼は屋敷で唯一の男性奉公人で、他に女性奉公人が3人いると書かれている。

ウィリアムは「紳士に仕える奉公人の生活は、籠の中に閉じ込められた小鳥の生活のようだ。小鳥は立派な家に住み、しっかりと餌を与えられてはいるが、自由を奪われている。」と嘆いている。しかし、空き時間に趣味の絵描きやスクラップブック作りや読書を楽しんだり、台所で客をもてなしたり、毎日のように頻繁に外出したり、女主人とともにブライトンへ夏の滞在に出かけたときには毎日海水浴を楽しんだりと、割りと自由時間が多い印象を受ける。

この日記は誰かに読ませることを想定して書かれたらしく(「さて、この日記を読まれた方々には奉公とはどんなものか少しは分かっていただけるだろう」)、日々の記録の他に、自分が上流階級の生活をどう見ているか、実例を挙げて説明したりしている。ウィリアムが紳士階級に向けるまなざしはかなり辛辣で、自分の女主人一家に対しても遠慮なしだ。

1837年(ヴィクトリア女王が即位した年)の記録であるところといい、男性奉公人の生活について人々が知りたいと思うであろうことをカバーしているところといい、もしかしてこれはフィクションなのではないかと、一瞬思ってしまった。

2009.09.05 23:17 | Comments(0) | Trackback(0) | 海外文学-19世紀

2009. 06. 28

『二つの薔薇』 スティーヴンソン

The Black Arrow: A Tale of the Two Roses (1888)
スティヴンソン / 中村徳三郎 訳 / 岩波文庫
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ヘンリー6世の治世。両親を早くに亡くしたディック(リチャード・シェルトン)は、「濠の館」の騎士サー・ダニエル・ブラックリィの後見のもとで成長したが、サー・ダニエルはディックの父を殺したのだと噂されていた。やがて、その噂が本当だと知ったディックは、濠の館から抜け出し、サー・ダニエルと敵対して森に潜む一味(黒い矢がトレードマークで、原題はここから来ている)と行動をともにすることになる。

薔薇戦争を背景とした冒険小説。とはいえ、やがてディックはグロスター公リチャード(のちのリチャード3世)とともに戦い、武勲を立てることになるのだけれど、戦いに嫌気がさしてそれまでの名声を投げ出し、愛する女性と森のなかで静かに暮らすことを選ぶというのは、通常の騎士の成長物語とはいささか趣きが異なるように思えます。(ただまあ、著者スティーヴンソンとしても、その後のリチャードの暗い運命に、主人公を伴わせるわけにもいかなかったんだろうなあ……という気もする)

また、ロマンス面もちょっと風変わりな展開。
サー・ダニエルは、多額の財産を相続する令嬢ジョアナ・セドリィを、財産狙いでディックの婚約者に決める。しかし、彼女の後見人が他の男に嫁がせようとしたため、サー・ダニエルはジョアナを誘拐してきて、男の子の格好をさせる。サー・ダニエルのもとから逃げ出した男装のジョアナを、気のいいディックは成り行きから安全な場所まで連れて行ってあげることになる……相手を少年ジョンだと思い込み、実は女の子だとはまったく気づかないまま。一方、ディックが自分の婚約者であることを知っているジョアナは、「女に興味はない」と言うディックに、「でも、あなた結婚するそうじゃありませんか」などとかまを掛けてみたりする。この辺り、鈍い主人公と男装少女のラブコメ的展開で、読んでてニヤニヤしっぱなしでした(笑)
ジョアナは思ったことをディックにずけずけと言うし、ディックはそんなジョアナを生意気だと思って殴ろうとしたりする。しかし、森の中での逃避行を続け、いくつかの危機を一緒に乗り越えるうちに、お互いの強いところも弱いところも知ると同時に、ディックはジョアナを守ってやりたいと思うし、ジョアナはディックの優しさを知る。結局二人はサー・ダニエルのもとに連れ戻されてしまい、そこでディックはやっとジョアナが女性であることに気づき、二人はお互いへの愛を打ち明けあうのですが(ここでの二人の会話がこれまたニヤニヤもの(笑))、これまでの過程があるからこそ、人間同士としての絆の上に築かれたこの二人の男女の愛がごくごく自然で強固なものに感じられる。ここまでロマンスへの導入がなめらかで納得のいく小説ってなかなかなくって、スティーヴンソンさん巧いなあ~、と思いました。

1950年の翻訳で、古い漢字が多用されていて読みづらく、最初のうちは、どんな話なのかいまいちよく把握できないほどでした。
とにかく、ディックとジョアナの微笑ましい恋愛にニヤニヤしまくりだったので、古い訳なのも「品切重版未定」状態なのももったいない。新訳で出してくれないかなあー。

2009.06.28 23:42 | Comments(0) | Trackback(0) | 海外文学-19世紀

2009. 04. 04

読了メモ 『イタリアの惨劇』

今年に入ってから、18~19世紀のナポリ&シチリアを舞台にした話を読むことが、偶然続いています。
時代順に並べてみると、『イタリアの惨劇』 → 『火山に恋して』(感想) → 『山猫』(感想)。作者はイギリス人、アメリカ人、イタリア人、とバラバラなんだけど。


『イタリアの惨劇 (上)・(下)』
The Italian (1797)
アン・ラドクリフ / 野畑多恵子 訳 / 国書刊行会 (ゴシック叢書1&2)

1758年のナポリ。侯爵家の一人息子ヴィンチェンティオ・ディ・ヴィヴァルディは、教会で出会った美しい娘エレーナ・ディ・ロザルバと恋に落ちる。ある夜、エレーナの住むアルティエリ荘へ向かうヴィヴァルディの前に、修道士の格好をした謎めいた男が現れ、「君は監視されている。アルティエリ荘へ行ってはならぬ」と警告するや姿を消してしまう。一方、傲慢なヴィヴァルディ侯爵夫人は、息子と身分違いのエレーナの結婚を決して許そうとはせず、野心的な腹心の告解師・スケドーニ神父に頼んで、エレーナを誘拐させ、修道院に幽閉してしまうのだった。

ゴシック・ロマンスの草分け的存在とも言えるアン・ラドクリフの作品で、ヴィヴァルディとエレーナの若い恋人たちが、侯爵夫人や修道士スケドーニ、修道院や異端審問所などに迫害されるという話。
予想していたほど冗長でもなく仰々しくもなく読みやすかったんだけど、ヴィヴァルディがあまり好きでないタイプの主人公だったこともあって、最後まで話にノレないままだった。
訳者あとがきにあるように、この物語でもっとも印象的な人物は、主人公の二人ではなく、修道士スケドーニである。スケドーニ>>>>>エレーナ>>>ヴィヴァルディ、くらいの存在感。

これまた訳者あとがきによると、この 『イタリアの惨劇』 は、ラドクリフの代表作 『ユードルフォの秘密』(オースティンの 『ノーサンガー・アベイ』 で揶揄されていた作品) とは作風がかなり異なっているらしい。やっぱり 『ユードルフォの秘密』 を読んでおきたいなー。でも抄訳しか出ていないんだよね……。

2009.04.04 23:30 | Comments(0) | Trackback(0) | 海外文学-19世紀

2009. 02. 16

読了メモ 『スキュデリー嬢』

Das Fräulein von Scuderi (1819)
E.T.A.ホフマン / 吉田六郎 訳 / 岩波文庫
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ルイ14世の時代。パリでは謎めいた宝石強奪殺人が相次ぎ、人々を恐怖のどん底に突き落としていた。ある夜、古い家柄の貴族のひとりで小説家の老嬢スキュデリーの屋敷に若い男が押し入り、見事な宝飾品の入った小箱を置いていく。その宝飾品は当代一の金細工師ルネ・カルディラックの作ったものだとわかり、謎の宝石強盗団に盗まれたのだと考えられたが、カルディラックが殺され、弟子の青年ブリュッソンが犯人として逮捕される。ブリュッソンの顔を見て驚くスキュデリー嬢。彼こそ、屋敷に押し入って小箱を置いていった男だったのだ……。

ルイ14世本人を始め、マントノン夫人、火刑法廷などが登場する時代ミステリーの中篇(主人公スキュデリー嬢も実在の人物らしい)。
推理要素は少ないけれど、カルディラック殺人事件についていろいろと聞き込みをして周り、無実の(だと思われる)青年のために奔走するスキュデリー嬢(73歳の老貴婦人)は立派な探偵役だし、探偵小説だと言っても差し支えないでしょう。ミス・マープルの先輩が、19世紀初頭にはもう登場していたんだなー。

この 『スキュデリー嬢』、『黄金の壺』(→感想)とセットになって、光文社古典新訳文庫の来月の新刊で出るみたいです。(岩波文庫版も近日重版予定)

2009.02.16 23:17 | Comments(0) | Trackback(0) | 海外文学-19世紀

2009. 01. 10

『黄金の壺―近代のメールヘン―』 ホフマン

Der Goldne Topf (1814)
E.T.A.ホフマン / 中野孝次 訳 / 筑摩世界文学大系26

ドイツ・ロマン派の異才ホフマン(1776-1822)自らが会心の作と称した一篇。緑がかった黄金色の小蛇ゼルペンティーナと、純情な大学生アンゼルムスとの不思議な恋の物語は、読者を夢幻と現実の織りなす妖艶な詩の世界へと誘いこんでゆく。芸術的完成度も高く、作家の思想と表現力のすべてはこの作品に注ぎこまれている。 (岩波文庫版の内容紹介より)

『怪奇小説傑作集(5) ドイツ・ロシア編』 に収録されていた「イグナーツ・デンナー」がおもしろかったので、ホフマンをもっと読んでみようと、まず手に取ったのがこれ。
現実とは違う世界のものに心奪われた男性の話というのは、『ホフマン短篇集』→感想)の大半の短編と同じなんだけど、こちらは不気味な雰囲気は少ないし(登場人物の言動はどことなくユーモラスで、皆なんだか妙にテンション高い)、ハッピーエンド。いや実を言うと、あれって本当にハッピーエンドなのか…?という気がしないでもないけれど、まあとにかく、主人公のアンゼルムス本人は幸せみたいだし。
蛇の乙女セルペンチーナの影が薄くて、そのせいでアンゼルムスとセルペンチーナの恋物語として読むよりも、他の部分に目が行ってしまった。
そのうちのひとつが、アンゼルムスに恋し、セルペンチーナの持つ黄金の壺を狙う老婆に手を貸すことになってしまう少女ヴェローニカ。結局はアンゼルムス本人というよりも「将来の枢密顧問官」という存在を愛しているようなものなんだけど、それでいて恋する乙女のひたむきさみたいなものを兼ね備えていて、アンゼルムスがセルペンチーナに夢中になっていて振り向いてもらえないという中盤の姿は切なくって気の毒に思えたほどだった(最後の変わり身の早さには、ある意味「強い」な、徹底してる、と思った。こっちも、本人幸せそうだからまあいいじゃん、と言うか……)。正ヒロインのセルペンチーナよりも、ヴェローニカのほうが強く印象に残ってるなあ。
そしてもうひとつ印象的だったのが、最後の章で物語の書き手(ホフマン本人?)が登場すること。「わたし」は、王室記録管理官リンドホルスト(実は火の精サラマンデルでセルペンチーナの父)の手助けによって、アンゼルムスがセルペンチーナとともに別世界アトランチスで幸福に暮らしている様子を見せてもらう。アトランチスの素晴らしさに驚嘆すると当時に、これから自分が戻っていく現実の生活のみじめさ・わびしさに絶望する「わたし」。この嘆きは切々と胸に迫ってくる。そんな「わたし」にリンドホルストは言う、「そんなに嘆くものではない! あなただって、あなたの感性の詩的な財産として、あの地に少なくとも小ぎれいな農場くらいはお持ちではないのかな? そもそもアンゼルムスの幸福とてが、詩の中の生活にほかならんのではありませんかな? 詩の中でこそ、自然のもっとも深奥な秘密として、万物の聖なる調和が明らかになるのではありませんかな?」と。この幻想的な物語において、ホフマンがいちばん書きたかったのはここの部分、現実生活に対する嘆きと「詩の中にこそアトランチス(理想郷)があるのではないか」という希望なんじゃないかなあ……やっぱり不思議な作家だ、ホフマンって。

※ 岩波文庫版: 黄金の壺 (岩波文庫)

2009.01.10 00:57 | Comments(0) | Trackback(0) | 海外文学-19世紀

2008. 11. 13

『みずうみ』 シュトルム

Immensee (1849)
テオドール・シュトルム / 高橋義孝 訳 / 新潮文庫
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故郷を離れている間に友人と結婚した恋人に、美しい湖のほとりで再会したラインハルトは、過ぎ去った青春が戻らないことを知って去ってゆく――若き日の恋人に寄せるはかない老人の思いを綴る『みずうみ』。併録の『ヴェローニカ』は、死の予感のはしる美しい人妻の痛ましい恋を、『大学時代』は、貧しい美貌の少女の可憐な反逆を描く。いずれも詩情あふれる美しい恋物語である。 (裏表紙より)

19世紀の北ドイツの作家シュトルムの短い小説3篇。

表題作の 『みずうみ』 は、風景画のような、静かで美しい作品。他の作品もそうだけど、場面場面の選び方がとても印象的で、読んでいてその情景が頭の中に浮かんでくるようだ。3篇のなかでは、唯一これが好き。

『ヴェローニカ』 は、町の名士の美しい若妻ヴェローニカが夫の従弟である青年とのはかない恋に悩み、旧教(カトリック)である彼女は復活祭前の教会でそれを懺悔しようとするが、そうすることが出来ずに飛び出してしまう。
次に読みはじめた本(『黒十字~』)に復活祭について説明する文章があって(キリストの復活はキリスト教の根本となるものであり、それを祝う復活祭には聖体拝領を受けるが、その前に魂を清めるために告解(懺悔)をしなければならない)、懺悔をしなかったヴェローニカの置かれた立場の深刻さがちょっとだけ深く理解できたように思えました。

『大学時代』 は、裏表紙の内容紹介文には「可憐な反逆」とありますが、それから連想するような話とはかなり違っていました。どちらかと言えば、「悲劇」のような……。もっとも、現代の感覚から見れば、なぜ「悲劇」で終わらなくてはいけなかったのか、ちょっとよくわからない気もしますが。

2008.11.13 23:51 | Comments(0) | Trackback(0) | 海外文学-19世紀

2008. 10. 23

『ルース』 エリザベス・ギャスケル

Ruth (1853)
エリザベス・ギャスケル / 巽豊彦 訳 / 大阪教育図書 (ギャスケル全集3)
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※関連記事
読書中の本 『ルース』 (2008.10.18)
『ルース』 第8~23章 (2008.10.21)

正直言って、後半はかったるかったです……。もともと、主人公が耐え忍ぶ話って好きじゃないからなあ。ストーリーの起伏もあまりないしね(ルースの話に、ブラドショー家の家庭内のゴタゴタが絡んでくる程度)。
身分の高い男に誘惑されて囲われ者になるも捨てられ、未婚の母となる少女ルースの話ですが、このような行為を「罪」「道を踏み外した」と見なす当時のヴィクトリア朝的道徳観を批判する小説ではありません。ギャスケルも、ルースが相手の男ベリンガムの誘惑に身をゆだねたことを(宗教的観念から)はっきり「罪」だとしています。そのうえで、転落した女性たちに自己救済の機会を与えるべきだ、見捨てるのではなく援助するべきだと訴えているのです。しかし、前回も書いたように、その自己救済後のルースがまるで聖女のようで立派すぎて、どうにも現実離れしているように思えてしまいます。もう少し地に足の着いた更生ぶりでもいいだろうに……と思うのよね。
(ところで、ミスター・ベンスンに長年仕えている女中のサリーの給料が年6ポンド、一方、ブラドショー家の家庭教師をしていたルースの給料が年40ポンド、という記述が出てきます。サリーとルースの身分はもともとあまり違わなかったはずなのに、その差にびっくりです。さらに、サリーがその給料をこつこつと貯金し続け、ベンスン家の経済危機(ルースがブラドショー家から解雇されてベンスン家に生活費を入れられなくなったため)のときに使ってほしいと差し出すという場面があって、何と言うか……)

【以下、結末に触れるので反転します】
ベリンガムとの過去のことが町の人たちにバレ、つまはじき者状態になってしまったルースですが、やがて看護婦の仕事を始め、チフスが猛威を振るったときに病院の隔離病棟の婦長を引き受けて献身的な看護を行ない、町の人々から大変感謝され尊敬されて、社会に再び受け入れられることになります。しかし、ミスター・ダンことベリンガムもチフスに罹患していることを知ると、彼の看護に駆けつけ、逆に自分が感染して、命を落としてしまいます。
男に誘惑されて捨てられた少女が未婚の母となって苦労を重ね、最後には死んでしまう話というと、1791年に出版されたスザンナ・ローソンの 『シャーロット・テンプル』(→感想) を思い出します。ローソンの作品は、若い女性に向けて「シャーロットのような悲惨な目にあわずに済むよう十分に気をつけましょう」と警告する意図で書かれたものなので、シャーロットが失望のなかで死ぬという不幸な結末を迎えるのは必然のことと言えます。しかし、ギャスケルは「転落した女性たちの救済」をテーマとして 『ルース』 を書いているので、道をあやまった見せしめとしてルースを死なせたわけではないはずです。ではなぜ、社会復帰も果たしたルースをギャスケルは死なせたのか。ルースは最期まで他の人のために尽くした(自分を捨てた男のために命を投げ出すという最大の自己犠牲)という形で終わらせたかった……などと考えられますが、訳者あとがきでは、贖罪とか自己犠牲の精神とかは関係なく、ルースの死は若き日の「ただ一回の恋の思い出」に殉じたものであった、という解釈が試みられています。
(あまり関係ないけれど、『赤毛のアン』のアンたちが物語クラブを作ってそれぞれ物語を書くという場面で、疫病患者の集落に看護に行った美しい少女が最後にはその病気にかかって死んでしまうというのが、傍から見ると滑稽だけれど少女たちは素晴らしくロマンチックな悲劇だと大真面目で感動している話の例として出てきたのを、ふと思い出しました……)

* Tag : エリザベス・ギャスケル  『ルース』  

2008.10.23 19:21 | Comments(0) | Trackback(0) | 海外文学-19世紀

2008. 10. 21

『ルース』 第8~23章

ベリンガムの病気は快方へ向かうが、母親の説得もあって、ルースの存在がわずらわしくなり、ベリンガム母子は置き手紙と手切れ金を残して突然宿を立ち去ってしまう。置き去りにされたルースは、愛する人に捨てられた悲しみのあまり自殺しようとするが、同じ村に滞在していた非国教会の牧師サースタン・ベンスンに止められる。ルースはそのまま臥せってしまい、ミスター・ベンスンはその世話をしてもらうために自宅から姉のフェイス(ミス・ベンスン)を呼び寄せる。
ルースが妊娠していることがわかる。ベンスン姉弟は相談の末、ルースを夫をなくしたばかりの遠縁の親戚ミセス・デンビーだということにして、エクルストンにある自分たちの家に連れて帰って面倒を見ることにする。エクルストンでルースは悲しみに浸り続ける日々を送る。
ルースが男の子を産み、レナードと名づけられた。やがてルースは、ミスター・ベンスンの友人かつ信徒である裕福な新興実業家ミスター・ブラドショーの屋敷で、幼い娘たちの家庭教師として働き始める。
それから五年後。ルースを慕うブラドショー家の長女ジェマイマは、父親の商会の共同経営者ウォルター・ファーカーとひそかに想いを寄せ合っていた。しかし、反抗心とわがままからジェマイマは冷たく無礼な態度を取り、失望したファーカーは淑やかなルースに想いを移し始める。ジェマイマはルースに激しく嫉妬する。一方、ミスター・ブラドショーがエクルストン地区選出の下院議員の選挙に関わることになり、彼が支援する候補者ミスター・ダンが屋敷にやってくる。ミスター・ダンと顔をあわせたルースは、その正体に驚愕する……。

***********************************************

以上、全体の三分の二ほどのあらすじ。
「ブラドショー家の家庭教師」と書かれていますが、教育を受けていない農家の娘のルースが勉強を教えられるはずもないので(他にラテン語・作文・算術の先生がそれぞれいる)、「世話係」ってところでしょうか。

若い女性が罪の意識に苦しみ悩み続けるという、『悪夢の一夜』(→感想)系統の話で、なんか辛気くさい。
ヴィクトリア朝当時の社会的道徳観から言ってもキリスト教的道徳観から言っても、未婚の娘が愛人状態で暮らしていたというのは「罪」で、さらにその結果の私生児を産むというのは恐ろしい出来事だったわけです。なので、当時の読者に主人公ルースに同情を持ってもらうには、その罪を帳消しにできるような人物像にする必要があります(自堕落な女とか性悪な女、ついでに言えば十人並み以下の器量の女とかだったら「自業自得だ」ってことになるだろう)。そのせいで、著者ギャスケルは無意識にルースを飾り立てすぎたのか、少女時代のルースは純粋で無邪気、幼いゆえに何も知らなかったいわば「被害者」、出産後は、威厳と気品を兼ね備えて貴婦人然とし、周囲から愛され敬意を寄せられる非常に美しい女性として描かれ、なんとも嘘っぽい存在になってしまっている。(出産後の姿は、ルースの自己鍛錬の努力の結果という建前ではあるのだけれど、どこで身につけたんだと思ってしまう唐突な変身ぶりです)

ミス・ベンスンとサリー(ベンスン姉弟が幼い頃から仕えている召使い)が登場すると、場面がちょっと明るくなるし、親切だけれどもルースに対してズケズケ言うので小気味良い。

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2008.10.21 23:30 | Comments(0) | Trackback(0) | 海外文学-19世紀

2008. 10. 19

読書中の本 『ルース』

エリザベス・ギャスケル / 大阪教育図書 (ギャスケル全集3)
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ギャスケルの二つ目の長編 『ルース』(1853年) を読み始めました。
未婚の母となる少女の話らしい。
いつものように途中まであらすじを書きながら読んでいこうと思います。

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主人公は、農家の生まれの美しい娘ルース・ヒルトン。
12歳のときに母を、15歳のときに父を亡くし、フォーダムの町一番の婦人服屋であるミセス・メイスンの店で年季奉公のお針子として働き始める。
ある日、ルースは令嬢たちのドレスの補修係として出かけていった公会堂での舞踏会で、ハンサムな名家の青年ヘンリ・ベリンガムと出会い、憧れの気持ちを抱く。次の日、お使いに出かけたルースは、子供が川でおぼれるのに遭遇。それを助けたのがミスター・ベリンガムだった。ルースの清らかな美しさに惹かれていたミスター・ベリンガムは、その子供の世話をするように頼み、その報告をしてほしいというのを口実にして、ルースと待ち合わせをして会うようになる。
ある日曜日の午後、ふたりはルースの生家まで遠出する。そこには、両親の使用人だったトマスとメアリの老夫婦が今でも住み続けており、ルースは再会を喜ぶが、ベリンガムは身分の低い者と親しくするのを快く思わなかった。その帰り道、たまたま通りがかったミセス・メイスンが、ベリンガムと腕を組んでいるルースを目撃。自分の店のお針子の貞操に厳しいミセス・メイスンは激怒し、その場でルースに解雇を言い渡して立ち去る。行き場をなくして嘆き悲しむルースに、ベリンガムは優しい言葉をかけて彼女を愛していると言い、仕事でロンドンへ行くので一緒に来るように誘う。ベリンガムを愛しているルースは、さんざんためらった末に「イエス」と答える。
それからしばらくして、ベリンガムはルースを連れて、北ウェールズの小さな山村にある宿へやってきた。ベリンガムと結婚せずに一緒に暮らしているルースは、他の泊り客たちから白い目で見られ、ショックを受ける。ベリンガムが脳炎で倒れて重病となり、看護のために母親のミセス・ベリンガムが呼ばれる。高慢な貴婦人であるミセス・ベリンガムはルースのことを息子に道を誤らせた身持ちの悪い女だと考えており、同じ宿にいることを不愉快に感じていた。

以上が第7章までの話。
『メアリ・バートン』 で、もしメアリがハリー・カースンと付き合い続けていたら、こんなふうになっていただろう……って感じですかね。

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2008.10.19 23:07 | Comments(0) | Trackback(0) | 海外文学-19世紀

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読んだ本の感想メモ、気になる本の情報など。翻訳小説が中心です。特に好きなのは、海外古典ミステリと19世紀イギリス文学。
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